リゾマスティックス科

科の学名の命名法には強い制約がある。大雑把に言えば、科の基準となる属(タイプ属)の名前を元にして、規定の語尾で終わらなければいけない。したがって選択の余地はあまりないはずであるが、それでも往々にしてどっちの学名が正しいのかすぐには分からないことがある。今回も国際動物命名規約に依る。

しかし分類表をちょっと眺めているだけで命名規約を紐解かなきゃいけないことが続々と起きるのはなぜなんだろう。勉強になるからいいか。

Rhizomastix Alexeieff, 1911

真核生物の起源を議論する上で一時期脚光を浴びたアーケアメーバという一群がある。その議論との関係はあまりないことがその後はっきりしたのだけれど、それはともかく鞭毛の構造や、ミトコンドリアの機能、細菌との共生など、興味深いところの多い生物群であることには変わりない。そのなかでもマイナーなRhizomastixを独自の科に位置づけようとしたことが今回のテーマの発端である。

Rhizomastixを独自の科に位置づける、ということはつまりタイプ属はRhizomastixである。規約にはタイプ属の学名の語幹または全体に(条29.1)、規定の接尾辞-idaeを付加する(条29.2)とある。ただ語幹の決定は学名の語源がからんできて少々面倒くさい。Rhizomastixという名前はrhiza(ῥίζα, 根)+mastix(μάστιξ, 鞭)というギリシャ語由来の語源を持っている。すると語幹はmastixの属格単数形mastigos(μάστῑγος)から活用語尾-osを除いて作る(条29.3)、すなわちRhizomastig-となる。したがって語幹を用いる場合はRhizomastigidaeとなるし、全体を用いる場合はRhizomastixidaeとなる。

Rhizomastigidae Calkins, 1901

実はRhizomastigidaeという名前の科は19世紀から使われている。はっきり記載文といえるものを伴っているものとしてCalkins (1901)が知られているけれど、Cavalier-Smith (2013)によればそれ以前の文献にも登場し、起源はBütschliのProtozoa第2巻810ページ(1884)にある。

1. Familie Rhizomastigina (= Ordn. Rhizoflagellata p. p. S. Kent 1880).
Einfache, mundlose Formen mit 1—2 Geisseln; entweder ständig eine theils mehr rhizopoden-, theils mehr heliozoënartige Pseudopodienentwicklung darbietend, oder leicht aus einem flagellatenartigen, pseudopodienlosen Zustand in einen sarkodinenartigen übergehend. Dabei bleiben die Geisseln entweder erhalten oder gehen ein. Nahrungsaufnahme mit Hülfe der Pseudopodien.

この科を構成するのはMastigamoeba, Ciliophrys, Dimorpha, Actinomonasの4属で、鞭毛をもつアメーバ様生物という意味では共通点もあるかな、という程度のまとまりである。

このあまりに古典的な科名は、現在の命名規約のもとでは通用しない。科名が最初に公表されたときに満たしているべき条件(条11.7.1)のうち、「適格な属名の語幹から形成した主格複数形の名詞でなければならない」を満たさないからである。Bütschliの1884年にしろ、Calkinsの1901年にしろ、その時点ではRhizomastig-という語幹を与える適格な属が存在しない。また1911年設立のRhizomastix属は、当時のOicomonadidae科に所属させられており、そもそもRhizomastigidae科には含められていなかった。したがって仮に1911年以降にRhizomastigidae科の記載がされたと扱おうとしても、条11.7.1の条件のうち「その属名は新しい科階級群タクソン中で有効だとして使用されている学名でなければならない」を満たすことができない。その結果、この古典的なRhizomastigidae科は適格でなく、現行の命名規約上はなんの効果も持たない。

RhizomastigidaeとRhizomastixidae

そこで改めてRhizomastixを独自の科に位置づけるため新科を設立したという論文が、2013年に2つ出版された。Cavalier-Smith & Scoble (2013)はタイプ属Rhizomastixの語幹を用いてRhizomastigidaeを、Ptáčková et al. (2013)は属名全体を用いてRhizomastixidaeを設立したが、この双方は同じタイプに基づく客観異名である。なお古典的なRhizomastigidaeは不適格名であり、これとの同名関係は存在しない(条54.2)。

とりあえず双方適格であると仮定して、この科の有効名は先取権の原理によりいずれか古い方となる(条23.1)。ただこの2つの論文の公表の順序を決めるのはやや面倒くさい。まずCavalier-Smith & Scoble (2013)は2012-12-04にオンライン公開され、冊子体の日付は2013-08である。一方Ptáčková et al. (2013)は2013-01-09にオンライン公開され、冊子体の日付は2013-05である。どちらも2011年より後に発行されているため、規定の条件を満たせば電子的発行の時点で公表されたことになるが、いずれのPDFファイルにもZooBankへの登録が行われたという証拠を含んでいないため条件を満たしておらず(条8.5)、冊子体での日付が公表の日付となる(条21.9)。したがって、冊子体として2013-05の日付を持つPtáčková et al. (2013)が先取権を持つ。

というわけで、Rhizomastixのみを含む科の学名はRhizomastixidae Ptáčková et al., 2013である。これに対してRhizomastigidae Cavalier-Smith, 2013は新参客観異名となる。はず。

AncoraとAnchorina

学名の命名規約はそれそのものが難解ではあるが、それを具体的に適用するやり方はもっと難解で、素人には何がどうなっているのか理解に苦しむものも多い。まあ分類学者同士でも見解がなかなか一致しないこともあるようなので、そこはもう仕方ないのであろう。いつか本職の人に質問できるときのために覚え書きとしたい。なお本稿については国際動物命名規約に依る。

Ancora Labbé, 1899

無節グレガリナの属でAncora Labbé, 1899というのがあるが、そのシノニムとしてIRMNGにはAnchorina Mingazzini, 1891というのが挙げられている。年号が早い方がシノニムになっているので、命名法上なんらかの事情があるのだろうと思うわけだ。

まずAncora Labbé, 1899の出典には

Gen. Ancora Labbé*)

1891 Anchorina (= Ancorina, non Ancorina O. Schmidt 1862!), Mingazzini in: Atti Acc. Lincei Rend., ser. 4 v.7 p. 413.

*) Nom. nov. — Le nom générique Ancorina (= Anchorina) a été précédemment employé par O. Schmidt pour une éponge (1862. Die Spongien des Adriatischen Meeres, p. 51).

とあり、Anchorina Mingazzini, 1891は海綿の属Ancorina O. Schmidt, 1862のホモニムであるとして、Ancoraで置換している。ただこのときAncorina (= Anchorina)となっていて、綴りのhの有無によらず同一視している。

Anchorina Mingazzini, 1891

つづいてAnchorina Mingazzini, 1891の原記載を確認すると

Gen. Anchorina n.

Individuo adulto con corpo a forma di àncora.

Anchorina sagittata Leuck.

[...] Leuckart (5) nel fare la revisione del catalogo del Diesing delle gregarine, rimproverando a questo autore di avere dimenticato qualche specie, accenna specialmente all'omissione di questa alla quale dà il nome di Gregarina sagittata.

とあり、LeuckartGregarina sagittataと名付けた種をもとにAnchorina属を設立している(そこに書かれていた出典は種記載の条件を満たしていないように思えるが、今回の話とは関係ないことにする)。

"forma di àncora"という記述から、錨の形をしていることにちなんだ命名であることは明らか。ラテン語で錨はancoraなので、それに接尾辞をつけたとすればAncorina命名されるのが自然である。しかし原綴りがAnchorinaであるのにそれをAncorinaだと解釈してホモニムと見なすことは正しいのだろうか?

修正(emendation)

1文字違いはホモニムではない(条56.2)と命名規約に明記されているので、Anchorina Mingazzini, 1891が直接Ancorina O. Schmidt, 1862のホモニムであるという解釈は現在成立しない(当時、1文字違いはホモニムと見なすような習慣があった可能性はあるかも)。おそらく、LabbéがAncorina (= Anchorina)と修正した上で、それがホモニムであるというロジックを採ることになる。

学名が設立された著作物で用いられた綴りは、それこそが正しく(条32.2)、それを維持しなければいけない(条32.3)という原則になっている。ただし例外がいくつかあり、そのなかに元の著作物そのものの中に「不慮の過誤」であるという明白な証拠がある場合(条32.5.1)は訂正しなければいけないというのがある。このとき不正な換字や不正なラテン語化は不慮の過誤と見なさない。今回の場合、Anchorinaという綴りが「不慮の過誤」によるものであれば訂正しなければいけないし、たとえば不正なラテン語化なのであれば訂正する必要がない。

学名の修正については、規約によって強制されるものを除き、「明らかに意図的」に行われている変更と定義されている(条33.2)。LabbéははっきりAncorina (= Anchorina)と明記しているので、「明らかに意図的」な修正と言って良い(条33.2.1)。そしてその修正が、条32.5にしたがって訂正した場合は「正当な修正名」(条33.2.2)、それ以外ならば「不当な修正名」(条33.2.3、慣用による例外あり)である。

仮にAnchorinaという綴りが不正なラテン語化なのであれば、Labbéの修正は不当である。修正したAncorina Mingazzini, 1891という学名が慣用されているわけではないため、慣用による例外も適用されない。したがってAncorina O. Schmidt, 1862との同名関係は存在せず、Anchorina Mingazzini, 1891が有効名となる。

もしAnchorinaという綴りが「不慮の過誤」によると認めるならば、それはLabbéが修正したとおりAncorina Mingazzini, 1891と扱うべきであり、したがって後続同名としてAncora Labbé, 1899に置換しなければいけない。

不慮の過誤?

そうすると、Anchorinaという綴りが「不慮の過誤」なのかどうかが問題となる。この綴りを見ると英語のanchorの綴りを想起するが、Oxford English Dictionaryによるとこれは古典ラテン語における異形anchoraに由来しているとある。とするとMingazziniはラテン語anchoraに接尾辞をつけAnchorina命名した可能性も十分にある。そもそもイタリア語話者であるMingazziniは錨をàncoraと実際に綴っているわけで、それなのに不慮の過誤でhを、それも2ヶ所で同じように挿入するということが起きるのだろうか。不正確なラテン語化をした場合でも「不慮の過誤」とは見なさないのに、異形とはいえ正当なラテン語綴りを用いているものを「不慮の過誤」と見なすことに「明白な証拠」があると言えるのだろうか?

というわけで、個人的には、この問題はLabbéによる不当な修正に起因しており、無節グレガリナの属名としてはAnchorina Mingazzini, 1891が有効名だと思っている。さてこの素人考え、どんなもんだろうか。

Félix Villeneuveのこと

ある程度の研究の対象となった生物には学名が付けられるのだが、学名を付けるには結構面倒くさい様々な決まり事(命名規約)があって、普通は分類学者の(どちらかというと脇道の)仕事である。ただ全ての学名が、本職の分類学者によって付けられているわけでもない。分類学ではない分野で活躍している生物学者が、成り行きで命名しているようなケースもある。場合によっては、正体不明とまで言わぬものの、いまやほとんど名を残していない者が名付けているようなことも、あるにはある。

ブラストグレガリ

最近たまたま知った奇妙な寄生虫で、ブラストグレガリナというのがある。ブラストグレガリナというのは出芽するグレガリナという意味で、その奇妙さは機会があれば書くとして、ホコサキゴカイの消化管に寄生する、たったの4種しか知られていない単細胞生物である。

ja.wikipedia.org

このブラストグレガリナという名は1936年にChattonとVilleneuveによって名付けられている。Chattonというのは生物学の歴史の中ではちょっとした名を残した人で、フランスの学者Édouard Chattonのことである。海洋生物学や原生動物学の分野で活躍したのだが、そういったマニアックな業績を抜きにしても、学術文献上に真核生物原核生物という言葉を持ち出した張本人として知られている。他にも似たような概念を唱えた学者はいるし、実はChatton自身はそれほど積極的にこうした言葉を用いていたわけではないようだが、ともかく現在使われている2つの言葉は彼に帰せられている。

一方のVilleneuveが、ここで扱う謎の人物である。雑誌によっては論文著者の名前は姓とイニシャルしか書かれていないことも多いのだが、ブラストグレガリナの論文には幸いFélix Villeneuveと名前が記されている。しかしどんな人物なのかさっぱりわからない。データベースで検索してもChattonと連名の同年の論文があと1つ見付かるだけである。博士号取得者が掃いて捨てられている現代ならともかく、フランス科学アカデミーで発表経験のある大戦前の学者がその後行方知れずというのは、戦中に命を落としたのであろうか。

gallica.bnf.fr

書誌データベース

図書館が蔵書に関わる情報として構築する書誌データベースを、各国の国立図書館などが連携させたVIAFというものがある。著書がある学者なら、何らかの形で名前が登録されていることが多い。検索してみると、ちゃんと出てくる

しかしなんだかちょっと様子がおかしい。"Biologie humaine"(ヒトの生物学)といういかにも教科書っぽいタイトルの本と並んで、"Ami fidèle"(忠実なる友)とか"Chevalier millénaire"(千年の騎士)とか"Princesse de béton"(コンクリートの王女)とか学者の本にしては似つかわしくないものが並んでいる。同姓同名の人物が混じっているような印象である。

これらのタイトルと名前で検索しても今ひとつパッとしないのだが、"Horloger"(時計職人)というタイトルでamazonほかで扱われているpaperbackがヒットした。

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というわけで現代カナダ人作家ということが判明。さすがにヒトの生物学は書いてなさそうなのでこれとは別人だろうが、海洋動物の寄生虫の研究論文と、ヒトの生物学では、ちょっと分野に開きがあるようにも思える。第三の人物ということもあるかもしれない。

ニーム・アカデミー

ここで詰まってしまったが、wikidataを覗いてみるとニーム・アカデミーに所属したFélix Villeneuveが存在している。ニーム・アカデミーは1682年に南仏ニームに設立された地域学術団体。その会員に選出された人物ならば、問題の人物と同一人物という可能性はあるかもしれない。

fr.wikipedia.org

ニーム・アカデミーの刊行物はオンラインで参照可能になっていて、しばらくあれこれ検索するうちに1969年選出で、1994年に後任が選出されていることが判明する。こういうアカデミーは会員の追悼記事を書くものなので、1994年前後の記事を見ていった結果、この人がたしかにChattonと共著論文を著したFélix Villeneuveだと判明し、めでたくその略歴を知ることができた。

Félix Villeneuve

Félix Villeneuveは1913年モンペリエ郊外の湿地の村エーグ=モルトに生まれ、モンペリエ大学を卒業し1935年にセットにある同大学の臨海実験所の助手となった。ちょうどこのころChattonが所長になっており、この記事の端緒となった論文が書かれた。しかしChattonは1937年にパリへ異動してしまうので、わずかな期間の共同作業者だったことになる。1939年対ナチスドイツ宣戦布告により戦時体制となりフランス陸軍第28歩兵師団に動員される。1940年6月の独仏休戦協定により動員解除となり、 ガール県アレスの高校教師、ついで1942年にニームの高校教師となり1973年に引退するまで務めた。教師として、数多くの生徒をコンクール受賞に導いたほか、多数の教科書を執筆した。1969年にニーム・アカデミー会員に選出され、彼の故郷に関する研究発表などを行っているほか、刊行物の編集に多大な貢献をしたという。1969年に教育功労章(オフェシエ)および国家功労勲章(シュバリエ)を受章している。1993年12月12日死去。遺言により火葬された。

gallica.bnf.fr